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店主からのメッセージ

 数あるリフォーム会社のホームページから弊社のホームページを見つけていただき、ご興味を持っていただき、誠にありがとうございます。
 「リメイク・ラボおおいた」は2021年1月に開業の新米会社でございます。
 会社は新米ですが、私自身の建築の経験はかれこれ30年近くになります。

 少々長くなりますが、私のリフォームについての考え方の原点と申しますか、いままでの経験の中で得た大切にしていることなどをお話しさせていただきます。
(かなり長いので、コーヒーでも飲みながらお付き合いいただければ幸いです。)

「実家がペンキ屋で
恥ずかしかった」

 私は塗装店を営む家で育ちました。親父は某メーカーの下請けで、朝早くから遅くまで現場に出ており、休日も時々幼かった私を現場に連れて仕事し、私は現場に落ちている木材などで遊んでいた記憶があります。
 現場へ向かうトラックの中で「あれも、父さんが(塗装)やったんでー。」と話す親父の横で「ふーん、なんかすげーな」と思って聞いておりました。
 小学生のころ「お父さんの仕事」という作文の発表をすることがあり、周りの同級生のお父さんはスーツを着て、格好よく仕事している話を聞いて、私はいつも汚れた作業着の親父がなんとなく恥ずかしい気持ちになって、一体どんなことを書けばいいのかわからなくなりました。「工事現場でペンキ塗っています」ではなんだか恥ずかしいので、「僕の持っているミニカーの色が剥げたら色を塗ってくれます」とか、してもらったこともないようなことを書いて発表したことを覚えています。幼いながら少しでも人にうらやましがられたい思いから、そんなことを書いたのかもしれません。今思えばなんとも恥ずかしい、親父に申し訳ない思いがします。

「建築の仕事への誇り」

 大学は文系の学部へ進みマスコミなどに興味があったのですが、サークル活動(男声合唱にハマっていました)に時間を費やしたいばっかりに、早々に大手ハウスメーカーに内定をもらうと、就職活動も早々に終了し、サークルばかりの毎日でした。
 入社したDハウスで、住宅営業マンとして成績は中の中から下を行ったり来たりでしたが、面白さがわかってきたのは4年目を迎えたころでしょうか。先輩との酒の席での話で、「俺達の仕事は、やっぱり金額がでかいのもあるけど、作り上げたものが、住む人がもし変ってもずっとそこに残り続けるということが醍醐味やなー」と話していたのがとても印象に残りました。営業マンになって、お客様や上司に怒られたり、ライバル会社の営業マンが夜にお客様宅で打ち合わせすれば、商談が終わるまで車の中で待ち、その直後に突然訪問して状況を伺って、いかに次回の打ち合わせを有利に持っていくための話をしたり、今でしたら完全ブラックな働き方をしていたものですから、「ずっとこんな事しないといけんのかなー」と思いながら仕事してましたが、ちょっとお腹の出ているその先輩の姿が「住宅営業マンも、かっこいいな・・・」と思いました。
 それから、注文住宅の受注をいただくことに誇りを感じ、住宅、建築そのものにも興味が出てきました。その後大学時代の先輩の福岡の会社に転職し、木造住宅の営業をしましたが、2年目が経つ頃、親父が倒れてその後家業のペンキ屋を手伝うために大分へ戻り、7年近く営業したり、親父と現場で作業したりしました。

「職人の厳しさからの逃避」

 夏の炎天下の午後2時、3時は外での作業はしんどく、4リットルの水分をとっても、全部汗で出て行ってしまう。冬はしもやけで地下足袋を履いてた足の指が紫色になったりしました。この時、幼いころ恥ずかしく思っていた親父の仕事の大変さを身に染みて感じることができました。汚れて色あせたお客様のお住まいが塗装で生まれ変わり、ちょこっと気になったことをお客様から言われる前に無償で「これ、やっときましたけん!」という親父の仕事が「いいもんだなぁー」と思うこともしばしばでした。
 しかし、営業してご契約いただいて、自分たちで工事をするというサイクルの中で、工事中は営業できませんので、一つの現場が終わればまた仕事を探す日々・・・。なかなか安定しない生活で、昼現場での作業、夜は宅配の荷物の仕分けのバイトでしのいでいましたが、夏の現場作業、熱帯夜の倉庫での荷物仕分けで、肉体的にも精神的にもいっぱいいっぱいになり、親父に「俺、どっか就職するから」と告げました。親父も「こいつには職人の仕事は無理」と思っていたのかもしれません。それから前職のSAKAI㈱(その時は坂井建設)に中途入社しました。
 親父には、私が注文いただいた工事の下請けとして仕事をしてもらってましたが、入社して3年目の1月に倒れ、永眠しました。これから仕事も増えていく中で残念でなりませんでした。
 ろくな親孝行もしてませんでしたし、最後に交わしたのは、現場の手直しの指示の話だけでしたので、悔やまれました。

「転機」

 坂井建設では、経験を買われ、できたばかりの不動産事業部のリーダーを任され、会社も新しい事務所へ移り、多くのお客様からいろいろなリフォームのご依頼をいただき、「多くのお客様から相談の依頼を受けることが、なんて楽しいんだ!」と毎日お客様宅へ伺い、ご相談、調査、見積もり、ご契約、工事の段取りなど確かに忙しかったですが、多くのお客様と、スタッフと一緒に毎日楽しく仕事させていただきました。
 リノベーションの面白さもこの時初めて経験させていただき、いろいろな中古住宅の再生に携わらせていただきました。
 先代の社長から「独立して社長やってもらうから」と半ば強引に独立を約束させられ、リフォームの事業とは別に、デイサービスの新規事業を立ち上げました。

「住む喜び、住める喜び」

 独立してから行うリフォーム事業は、自分のペースで、自分のお気に入りの内容を受け入れていただけるお客様に一生懸命、真っ正直にご提案していきたいと考えております。
 素材、設備であれば本当に気に入ったメーカーのものを、メリット・デメリットを事前にしっかりご説明する「インフォームドコンセント」を行うご提案を、1回のリフォームで可能な限りできるリフォーム工事で、お客様の経済的、精神的負担を軽減するような工事を心がけてまいります。
 また、リフォーム現場で多くのお客様と接する中で、お元気な間はいいけど、高齢になってお住まいでの日常の生活に支障が出るとどうしても家事や暮らしを楽しむことができなくなります。せっかくお金をかけてリフォームしたのに十分楽しく過ごせる時間が短いのはリフォーム業者としてもとても残念です。終の棲家として、最期までご自分のお住まいで生活していただきたい、そのための「自立支援」のお手伝いを担う、との思いで機能訓練特化型のデイサービス「リハプライドおおいたわさだ」も運営しております。

 「リメイク・ラボおおいた」は、「住む喜び、住める喜び」をテーマに、地元大分でなくてはならない企業と、お一人でもいわれるように、日々精進してまいります。
 ぜひ、どんな些細なことでも結構ですので、お気軽にお住まいについてのご相談承っております。

「お住まいへのいろんな想いを一度お聞かせてくださいませんか?
心よりお待ちいたしております。」